なんのためにルールがあるの?
ルールは道徳的に破ってはならないだとか、そういうことを言うつもりは毛頭ありません。
ルールはその場がどのように機能するかを左右するものです。
すべてのルールを守るのは困難、だとしても守れば良いことがある。
それくらいのものかと私は思います。
場のルール
自分に嘘をつかない
これは(おそらく人生においても)最も重要なルールです。
誰かにつく嘘は重要ではありません。
誰かにつく嘘は人を楽しませるものと自分を守るための2種類しかありません。
ここでは、
自身の違和感を平気なふりして無視したり、
居心地が悪いのをそのままに我慢するのはよくないよね?
とその程度の気楽さのために「自分に嘘はつかない」というルールを設けています。
突飛な発言をゆるす
どんな内容でもまずは聴いてみましょう。
その上で何を言うかはあなた次第です。
入退室はご自由に
開催時間内なら、いつ来てもいいしいつ出ていってもいい。
ただ
また戻ってくるのか?戻ってこないのか?わからないと
場にいる人はどうしたんだろう?と思われるので、
退出される際は一言そえてくださると助かります。
話すときの姿勢(推奨事項)
そもそも守れるものとは思ってないけど、
頭の片隅にでも置いてもらえたら、
話しやすくなるとは思う。
否定ではなく意見をだす
視点をちょっとズラシてみましょう。
「このお菓子はまずい!」と言えるのは
「まずいと感じた自分がいる」ということです。
「このお菓子はまずい!」という
体験そのままをわめくのは子どもです。
「このお菓子は自分とは合わない
だけど、製品がある以上好きな人もいるのだろう」
となれば、体験をしてなお
お菓子をけなさずにいられます。
人の意見も同じです。
その意見がある以上支持する人もいるはずです。
たとえそれが1万人に1人だとしてもね。
どっちがマイルドだとおもいますか?
「自分の価値観が全人類に認められるべき!」
「自分は世間に認められるべき!」
きれいごとで話さない
この場においては、事なかれ主義である必要はありません。
ふだん、タブー視されていることを話してもらってもかまいません。
正しさのために話さない
自分がどんなに素晴らしいと信じていたとしても、
正しさのために話さない
自分がどんなに素晴らしいと信じていたとしても、
ひとりよがりな一方通行な話を続けるのはよしましょう。
温度差が広がるだけですので、
むしろ相手に質問して話させた方が接点がみつかるというものです。
知識のために話さない
正しさのために話すと、なぜ正しいのかが問われ
そのために知識がもちだされます。(不特定の誰かがいう世論も知識です)
そこから水掛け論となれば
知識のため合戦が繰り広げられますが、これは不毛です。
たとえ同じことを言っていても温度のちがいによって、
相容れないなんてことは人間あるものです。
「相手のために」より「認められたい心」が先に立つと
こんなことはよく起きます。